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思ってもいなかった人との出会い

震災後2年目になるので、松川浦からもとの常磐線(今は廃線)の坂元駅までを見て回りました。坂元駅はホームの残骸だけでてて物は全部亡くなっていました。

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こんな駅前の荒れ地で何かをしているお年寄りがいました。見ると色々な種類の苗木が植えられています。
「ここに公園でもできるのですか?」と尋ねてみました。これがきっかけで、寒くて雪のちらつく中で都合30分は話し込んだでしょうか。
年齢は82歳。脳梗塞にかかって体がまだ不自由とのこと。一緒に病院に入院していた6人の知り合いは、5人が糖尿病とかなんとかでなくなり、残っているのは自分ひとり。体が不自由だろうと言って子供たちが椅子を買ってくれる。動くのが大変だろうと車いすを買ってくれる。そうすると余計に筋肉が衰えて動けなくなってしまう。だからリハビリのつもりでこんなことをやっている。今日もみんなと瓦礫拾いをやり、終わったからここに来たのだと・・・。昨年は富士山にも登った・・・、そう言うとみんな信じないからと証拠の名簿まで見せてくれました。
私の持っているカメラを見て、俺も病気になる前にはやっていたのだけど5年前にやめた。その時の機材をコンテナに詰めて有ったのだけど、津波ですっかり流されてしまった。でも、もしあの時に写真をやっていたら、津波を写そうと思って残っていて津波にのみこまれてしまっただろう。4人で逃げたのだけど3人は飲み込まれてしまった。その話をしたら、昔の写真仲間が、デジカメをプレゼントしてくれた。昔の事は良く覚えているが最近の事は覚えられない。どうしたら、撮った写真を見ることができるのだ?と質問しながら、車の中にあるカメラをとりに戻ろうとして、ばったりと倒れてしまいました。でも勢いよく立ち上がり、こんなになってしまったのだと笑っていました。こんな話をしているうちに、俺の田圃は駅の向こうにあって「震災の年に稲を作ったのだ」と言う。
「エッ、あの小さな田圃はおじいさんが作ったのですか?」とまた話が弾む。
塩害で作れないと言うがそんなことはない。俺の所は時々波をかぶっていたがそれでも作っていた。作れるんだと言う事を知らせたくて作ったのだ。沢山実ったよ。そんなことを聞きつけたマスコミがやって来たけど、公表するのは許可しなかった。偉い人たちの言う事に逆らってもしかたないからね。でも後から仲間から聞かされたのだけど、あの人たちは東北方面ではTVでやらなかったけど関東より西では放送したようだと・・・。
今年は作るよと言っていました。
ええ、もっともっとあっちへ飛びこっちえ帰りしながら話しが続き、すっかり体が冷え切ってしまいました。元気で作ってください。今年も又見にきます。
次が話をしたオジサン

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これが2011/9/13に見かけた小さな小さな田圃。塩害に勝つには苗は20cmより大きく育ててから6月になって植えるのだそうです。

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No title

こんな出会いもあるんですね。
こういうエピソードを記録してくれてありがとう。

No title

ええ話やー゜+.(・∀・)゜+.゜
お爺ちゃんいつまでも元気でいてほしいですね!