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PCのセットアップ

今日は、インターネット、セキュリティーのセット(マカフィーのものです)
メール(2010)まで進めました。
W7で73ヶもアップデートするものが出てきました。(セキュリティ関係のものです)

色々寄り道をしています。

最初の寄り道が「アレッ、PC側にプリンターの繋ぎ口が無い」。前のものがパラレルタイプの接続線でした。USBでいけるの?とプリンターを覗いたり取り説を見たり・・・。何しろつないだのは6年前だからすっかり忘れていました。明日買いに走ります。

インターネットは旧と新の切り替えはスムズに行えるようになりました。というより、何にもしなくていいんですね。いえに引き込んだ光ケーブルの端末機(ルーター?)に何もかも書き込まれているから、パソコンの接続を変えればいいだけなんですね。

メールは、Office Outlook2010を設定したのですが、本当に繋がっているのか否かをテストするのに時間が掛かりました。アドレスを引越しさせれば良いのですが、何しろアドレスがどんなに登録されて行くのか判らないので、先ずは自分から自分に送ろうとしたのですが、アドレスの登録の仕方がわからない。止むおう得ず、インターネットで調べて・・・と。

途中でゲームを遣って確かめたり・・。
さっさとと引越しすればいいのですが、何処にどんなにして転送されるのかを確かめないと後で困ると思って調べています。何しろインターネットのトップ画面に有った「お気に入りの場所」が何処にあるのかさえ判りません。

インターネットが、ケーブルを差し替えるだけで、旧m/cと新m/cを切り替えられるのは便利りですねー。
後ディスプレーが1台しかないので新旧を使おうとすると、個rwもケーブルを繋ぎ変えなければなりません。途中で何とかならんものかとwebで調べたら、これにも切り替えが可能なケーブルがあるんですね。
こんなことを遣っていたら、今日中に終りませんでした。

旧m/cが使えますから、まあ明日もユックリ楽しみながら遣って行きます。
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新しいPCが届きました

今日新しいPCが届きました。
いらいらしながら使っていた現在のPCともお別れになります。
今、画像処理を含んだ頼まれ事があるので、これは慣れたm/cで片付ける事にしよう。

Windous7になるのだけれど、なんか癖があるみたいですね。慣れるまで時間が掛かるよといわれています。
それと問題は、Photosyop V7が上手く使えないみたいなのです。Webで見ると、ある人は問題なく使える、ある人は何とかのフォントが使えない、チョコチョコと使えない機能が出る、全くインストールさえ出来ない・・・・等々色々なことが出ているようです。画像処理で一番使うソフトがこれでは大変です。・・かといって高価なPhotosyopをおいそれとはかえないし。

今はまだ出来ないけど、その内XPとW7の二つのOSをインストールして使い分ければと考えています。
そういうことで、古いPCも全く壊れたわけでもないので、当分は2台を使う事にします。旧機台は主として、画像処理様になりますね。HDDとしても使えそうだし・・。
まあ明日から、ボチボチとセットイアップを遣ります。

会計報告

先般の旅行の会計報告を、何とか横着を決め込んでやろうと・・・つまりメールで済まそうと思い色々と遣ってみた。
メールに添付資料として送るのなら簡単な事だが、文面そのものを報告書にしようと考えた。問題は印鑑を押す事、つまり印影を貼り付けなければならないことだ。印影は画像として造っておき貼り付ければいい。

文面を会計報告書らしく見せるには、リッチテキスト(HTML)にすればよさそう。
しかし印影を押す事は出来ない。
それなら、メモ帳で文書を作り、印影を貼り付けて、コピー&ペーストをすればと考えたのだけど・・・。色々遣っては見たがどうやらメモ帳は画像が扱えないらしい。

結局は、メモ帳で体裁を整えた文書を作り、ワードに貼り付ける。それに印影の画像を挿入する。それでもって最後に、これをメールに貼り付ける・・・という回りくどい手法になってしまった。

普段から画像のことばかり遣っているから、ワードやエクセルには全く疎い。湖に変で何か手っ取り早い方法が無いものだろうか。

卯会の事

現役時代の同年齢の者6人で「卯会」なる物を作っています。なんで卯会というかと言えば、ウサギ年ー卯年生まれだからです。この6人が毎年近場の温泉で一泊して、昔話を語り懐かしんでいます。昔を懐かしむ・・・つまり歳を取ったということです。
昨年までは6人で出かけていたのですが・・・・、残念ながら今年は一人が体調がすぐれず参加が出来なくなってしまいました。元気になって来年は参加が出来れば良いのですが、期待薄の状況です。
話は変わりますが、本来はこの会の温泉巡りは、早春3月ころに行っていたのですが、昨年は震災があり旅行を楽しむような雰囲気ではありませんでした。其れで、半年ほど実行を遅らせて秋にずれ込んでしまいました。
今年は、平安時代からの「名湯一千年年」と称される宮城県の鳴子温泉に出かけました。
この歳になると、温泉にユックリと浸かり、美味しいもの・・・それも自分にあったものをたらふく食べ、深更まで元気だった昔を偲ぶのが楽しみです。本来ならここで「美酒を酌み交わし」の枕詞が付く所なのですが、残念ながら下戸が4人もいるので「お茶会を開きながら・・」になってしまいました。

翌日は少しばかり知的にと、芭蕉が奥の細道で辿った道に沿い、山形県最上町の封人の家(蚤しらみらみ馬の尿する枕元の句で有名)、山賊の心配をしながら越えた「山刀伐峠(なたがり峠)」の山中を越え、尾花沢市へ。ここは岩沼市とは、姉妹都市の関係で昨年の震災後は色々な自治体にもまして親身に助けてもらいました。
その後、国道13号を南下し、村山市のソバ街道に入り定例のそばの昼食からチョット趣向を凝らして、山形の郷土料理(田舎料理)とそばがき(かいもち)をてべて来ました。

震災後1年半

この20日間ほど掛けてユリアゲから松川浦までの震災1年半後の復興の様子を写してきました。流石に今年は、松川浦から岩沼までのママチャリ走行はやる気がしませんでした。岩沼市内のみで精一杯、何しろ暑かったからねー。
でも行く先々では車が入れない所ばかりになって来ましたから、結局炎天下をテクテクと10km近く歩かねばなりませんでした。それでも車に戻ってエアコンでホット一息つくことが出来ました。

そろそろ復興に入っていますが、それを見ようとするとタイミングが必要になります。松川浦へは3回出かけましたがまだ目的のシーンに出会えていません。

又、「何で?」とか、「それからどうするのだ」といった疑問も沢山出てきて、国交省の出先機関や市役所・役場などにお邪魔をして煩わせることもしばしばでした。

今日からその纏めに掛かりました。出来るだけ早く仕上げたいものです。

瓦礫専用貨物列車

瓦礫だけで一列車が編成できるようになったと言うことで、JRは昨日から東京に向けて送る瓦礫の専用貨物列車を箸要らせる事になったようだ。

「JR貨物が運行を始めた東日本大震災のがれき専用列車=19日午後、仙台市
 JR貨物は19日、東日本大震災のがれき専用列車の運行を始めた。仙台貨物ターミナル駅(仙台市)と東京貨物ターミナル駅(東京都品川区)を1日1往復し、1回に最大約400トンのがれきを運ぶ。

 これまでは定期の貨物列車を使い、一般の貨物と合わせて輸送していた。都のがれき受け入れ態勢が整い、搬出量が増えたため専用列車に切り替えた。完全密封できるコンテナを使用、放射性物質による汚染を懸念する沿線住民に配慮した。

 この日は、宮城県石巻市と女川町、岩手県大槌町の倒壊家屋などのがれき約360トンを運んだ。

 JR貨物は、自治体の受け入れ態勢やがれきの搬出量に合わせ、増発も検討している。担当者は「一日でも早いがれきの処理をお手伝いしたい」と話した。」・・・と言う事だ。
これがその報道の写真だ。

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貨物列車の写真は、以前撮って有るがこの写真を見るとヘッドマークがついている。それではと出かけてみた。
時刻は今までと々時刻。

遣ってきた列車を獲ったが、アレレ・・・ヘーッドマークが着いていない。

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再挑戦だね。

ミズアオイの事

被災地の湿地化したところに今年はミズアオイが勢い良く育っていることをツイートしたら、何人かの人がRTをしていた。やっぱり不思議に思っていたのだろうか?
もともとこの花は絶滅危惧種Ⅱ類になっているもので、田圃などでそう簡単に見られるものではなかった。
それが今年は、塩害による休耕田で姿が多く見られる様なっている。でも私の知っている田圃は、山手のほうだけだから、海岸近くの田圃が一昨年迄はどんな状況だったかが判らないから、ふしぎだなー、こっちのほうには多かったのかなーくらいに思っていた。
でも今日の新聞によると、これはやっぱり異常現象のようだ。
ミズアオイについてチョット調べてみた。

「ミズアオイは北海道から九州、朝鮮・中国・ウスリーに分布する1年草。古名をナギといい、葉を食べたという。昔は水田や沼地、池、河川の下流域などに広く生育していたのであろう。現在は除草剤や基盤整備、河川の性質の変化などによって激減しており、環境省RDBでは絶滅危惧Ⅱ類に、岡山県RDBでは絶滅危惧種に指定されている。

1年草の種子は、少なくとも一部は簡単には発芽せず、土の中で埋土集団(シードバンク)を形成することが多い。ミズアオイもそのような性格があり、いったんは姿が見えなくなっても、生育していた場所の土壌を耕したりすると、再生することが知られている。沼地のような立地は変化が激しく、ヨシのような背丈の高い植物が繁茂するとミズアオイのような背丈の低い1年草は生育が困難になる。いつしか生育が可能な場所ができることを願って土の中にはたくさんの種子が待機しているに違いないが、はたしてそのような場所ができるでしょうか・・・・・」
・・・とありました。

繁茂した理由はどうやらこのことの様です。
「ヨシのような背丈の高い植物が繁茂するとミズアオイのような背丈の低い1年草は生育が困難になる。」
ヨシでは無いが、背の高い稲が全く育てられていないのですから、田圃にも復活してくるわけですね。

「1年草の種子は、少なくとも一部は簡単には発芽せず、土の中で埋土集団(シードバンク)を形成することが多い。ミズアオイもそのような性格があり、いったんは姿が見えなくなっても、生育していた場所の土壌を耕したりすると、再生することが知られている」
人手ではないけれど、津波というやつがそこいらじゅうの土地を転地返しをしていきました。土中のシードバンクを掘り起こしていったのですね。

いやー、自然とは凄い仕組みでなりたっているんですねー。

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堆積土

松川浦での試験操業の様子を見ようと、3度目の挑戦をしたが、今日もやっぱり操業をしていなかった。
作業をしている人に直接聞いたら、来週は遣る。24日と26日だとの事。24日にもう一度出かけてみよう。
そのまま帰るのはシャクだからと、今回も寄り道をした。

除塩作業で田圃の土を削り取っているが、何故だ?という事とその土は一体どう始末をするのだと言う疑問を解決しようと山元、亘理の役場に行って見た。
除塩の事で、聞きたいことがあると言うと「なに?」と最初はチョット身構えられてしまう。苦情でも言ってきたのかと思われるのだろう。
ところが質問の内容を聞くと、すらすらと、懇切丁寧に教えてくれた。
先ず「表土を削っているが・・・」と聞いたら、「表土ではありません、堆積土です。表土というのは今まで作っていた田圃の土の表面を言います」と訂正されてしまった。
山元、亘理の話では、堆積土は各田圃により暑さが違うので、その田圃々々で削り取る厚さは違うそうだ。何故削るのだと聞いたら、田圃には不適切なものが流れ込んできているから、砂瓦礫などだとの返事が返ってきた。有害物質などではないのかと聞いてみたが、そういうものは出ていないと言っていた。

削り取った土の処置については
山元町では、まだ正式に決まっていない。とりあえず瓦礫の混じっていないものと混じったものに分類して保管している。いずれ瓦礫の混じったものも瓦礫を取り除く予定だと言っていた。
亘理町では、大畑海岸に瓦礫の無いものと混じったものに分けて保管しており、既に防潮堤に土盛りに使っていますちょのことだった。

山元町の保管場所

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亘理町の保管場所

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津波で運ばれてきたヘドロの活用

岩沼市寺島のバス停の近くにこんな土手が有った。

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「堆積土に芝植えあぜ作り 岩沼・沿岸部で緑化実験」ということらしい。

河北新報によると
ヘドロを含んだ堆積土で作ったあぜにノシバの苗を植える高校生

宮城県岩沼市沿岸部の農地で、津波により堆積したヘドロを水田のあぜ作りに活用し、緑化する試みが進められている。芝を用いた緑化策を研究する京都市の高校生が15日、同市を訪れ、実証実験に取り組んだ。
 参加したのは、京都府立桂高の植物クリエイト科と園芸ビジネス科の生徒12人。岩沼市寺島の農業平塚静隆さん(56)の農地に、ヘドロを使って長さ約7メートル、高さ約1メートルのあぜを作り、同校が奈良県などで採取した種子から育てた日本在来種「ノシバ」など3品種、計600ポットを植えた。
 被災農地の除塩作業はヘドロの除去に伴い、塩分を含んだ大量の堆積土が発生するが、捨て場所が少なく、あぜやのり面造成への活用が検討されている。
 堆積土を活用したあぜは消石灰などの固化剤で固め、緑化することで崩れや雑草の繁茂が抑制される。同校は、その緑化材として塩分やアルカリ土壌に強いとされるノシバに注目した。同校は宮城県内に自生するノシバの種を使って育苗する計画も進める。
 引率した片山一平教諭は「被災地で農地の大規模化が進む中、堆積土の処理は大きな課題。われわれが培ったノシバ育苗の技術を、この地で役立てたい」と話した。

そのようだ。
今、除塩作業で表土を削り取っているが、この土をどうするの疑問に思っていたところだ。宅地造成のところで出た槌の用途は市役所で聞いてきたが、こちらの方は聞くのを忘れていた。
明日早速聞きに行こう。

津波にあった桜

昨年の震災で壊滅的な津波の被害にあった岩沼市二の倉工業団地、そこの某工場前に植えられていた染井吉野は、4月18日時点でけなげにも満開に咲いていた。
それがどうなっただろうと思って、今日訪れてみたらすっかり根っ子から掘り返されてなくなっていた。

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昨年から、今年も立派に咲いてくれるのだろうかと心配になり4月に見に行ったが、瀕死の除隊で、ほんの数本の枝先に蕾をつけているに過ぎなかった。

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やっぱり駄目だった見たい。片隅にこんな姿になって積み上げられていた。

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松川浦港

松川浦・・・相馬漁協がケガニを含む10種の魚の漁を始めたと言うので早朝からで掛けてみた。残念!!金・土・日は休みなんだそうだ。来週又来るか。
スゴスゴ引き返すのもシャクなので寄り道をしながら帰ってきた。
相馬港・釣師浜漁港など福島の魚港にも動きが出てきたみたい。瓦礫の撤去が進められていました。
相馬と釣師漁港です。

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磯浜漁港によって見ました。学生みたいな人たちが網をずたずたに切りながらワタリガニを取り外していました。いやに小さいのも獲っています。おまけに網を切り刻んでしまっては???と思って質問したら「調査用の捕獲なんです」との返事でした。

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亘理まで帰ってきたら吉田の交差点(県道38と244)で、こんな弁当屋を見つけました。ここは震災前には、コンビニがあったところです。

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弁当屋のご主人は「ドライブスルー弁当屋です」と笑っていました。

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何でも、震災前には茨城県霞ヶ浦に近くに住んでいたが、その後こちらに帰ってきたのだと言っていました。かつてのコンビニのオーナーから、以前の固定客(ダンプの運転手)用に遣ってほしいと頼まれたのだそうです。
最近この近くには、瓦礫の二次集積地が出来、瓦礫の焼却施設も出来ダンプの往来が物凄く多くなっています。
需要は相当なものでしょうね。

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荒浜港

9月9日に荒浜港の魚のセリを見に行ったが、たった6カゴのみの水揚げ漁だった。あまりにも写真として淋しすぎるので、今日改めて、それも魚を積んだ入船から見ようと思って6時に港に着いた。
まだ船は一艘も接岸していなかった。

コンビニで買ったサンドウイッチを食べながら周りの早朝の景色を見ながら待った。
その内不思議な光景が現れた。辺りは快晴なのに、西にある阿武隈丘陵の山頂部に雲が掛かって西から流れ落ちてくる。そう珍しい現象では無いが、高々150mそこそこの山に起こるのは珍しい。たぶん向こう側の角田盆地に朝霧が立ち込めているのだろう。程なくこの現象は消え、山頂部もすっかり晴れ上がった。

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魚のセリはAM8:30からなのに、待てど暮らせどその時間近くになっても船は一艘も入港してこない。結局そのままセリの時間になってしまった。つまり水揚げ「0」であった。
市場に並んだのは、磯浜からトラックで運んできたメバルが6カゴのみだった。

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ユリアゲから買い付けに来ていたおじさんの話では
放射能の影響で、あの魚は駄目、これも駄目・・と言った現状では獲る魚が無い。おまけにここの港には大きな船が無いから(鳥の海は浅い),深い所の底引きが出来ない。その上、この暑さだから浅い所に魚がいなくなっている・・・。
こんなことで、漁に出ていないのだそうだ。
気温が下がり、台風が2ッ3ッ来て浅い所の海底を引っ掻き回して放射能を含んだ砂地を洗い流さないと駄目だ・・とえらく荒っぽいことを言っていた。

中々元に戻るのは大変なのだね。

除塩

津波にあった田圃の除塩の話。次の写真は除塩の風景です。

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この地図で紫の枠で囲んだ所が除塩を行っている所です。玉浦の東です。

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この地図でモスグリーンのラインの西側が今年稲作が行われているところで、東側はまだ作付けされていない所です。ですから最初の写真のように除塩が行われているのです。

除塩なのになんで表土を引っぺがしているんだと言う疑問です。多分、田圃には不向きな砂とか砂利とかヘドロがあるから取り除いているのだろうと思いますが、念のために市役所の農政課に出向いて確かめてきました。
あの所の土を調べると他のところに比べて、黒い表土が認められるのです。検査の結果では、重金属とか有害化学薬品とかは一切認められませんでした。では転地返しをして混ぜてしまうかとなったのですが、やっぱり気持ちが悪いですよね。そういうことで表土を剥ぎ取ろうとなったのです。黒い物質は何だ言う事になりますが、多分の東に浄化設備がありましたから其処からのものではないかと思っています。・・・との事でした。表土は1~2cm位剥ぎ取るとしていますが、何しろ重機ですからもっと剥ぎ取っているでしょうね・・・ということでした。

山元町やワタリマチでも遣っているが、多分おんなじ様な理由だろうとの事でした。
尚この後耕して、水を貼り、塩分を溶かしだすのだそうです。

集団移転地宅地造成

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集団移転地の宅地造成のこんな風景を見て、ヘー凄い工事になるんだなーと驚いてみていたのだが、今日次のような風景を見て、エッ!!どうなっているのという疑問が出てきた。

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これは造成地に千貫山の方にある砕石場から埋め立てる土砂を運んでいるダンプです。(運転席の背後の絵が良いですね。)埋立地だから当然ですね。

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埋め立て地なのに土地の表面を引っぺがして、土砂が盛り上げられています。最初遣りかけたときには、配水溝か検査のためだろうと思っていたのです。ところが造成地全て表土を削り撮っていきます。おまけに今日見たのは次の風景です。

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埋立地から引っぺがした土砂をどこかに運び出しているんです。埋め立てる所から土砂を運び出すとは如何いう事?不思議に思ってダンプを追っかけてみました。そうしたらこんな所に積み上げているのです。

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なんとなく答えがわかってきました。それでは確認のためにと、市役所の復興課とやらに出向いて聞いてみました。
やっぱり思いついたとおりの答えが返ってきました。
私達は、いきなり土盛りをしていきたいのですが、農政課からの要望で「田圃の良い土の層は埋めてしまうともったいないので削り取って保管してほしい。」といってきているのです。除塩をした後の田圃に使うつもりのようです・・・・と。成る程今遣っている除塩は表土を削り取っているからねー。

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早起きをして、荒浜港のセリを見に行った。なんだこれは!箱が立ったの6ツしかない。これで漁港のせり?
放射能の影響で自由に漁が出来ないんだ。とAオジサン。そういえばスズキから、放射のガどうとかこうとかいっていたなー。Bおじさんは、底引きが遣れればうんと上がるんだが、瓦礫が一杯沈んでいて、やれないんだ・・と。
どっちも本当なんだろう。

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そんな中、6カゴのせりが終ったあと、軽トラから魚を下ろし始めた人がいた。でっかいカレイ?がたくさんいた。不思議に思って尋ねると、磯浜漁港から来たのだという。「何時もなら、松川浦にもっていくのですが・・・。」そのほうがうんと近いのだけど、何しろ松川浦のほうは、放射能で漁を自粛中だからなーということで、こちらに来ているそうだ。


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話を続けて行くうちに、船の話になった。たった1隻だったのが2席になりましたねといったら、「福岡で作ったのです。随分高くつきました。」近場では忙しくて引き受けてくれないんだろうね。
その新造線がこれ。


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この船が獲ってきたもののようだ。

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ホッキ貝に話が及んだ。いることは居るが、これも漁場にテトラポットなどの瓦礫が沢山沈んでいて中々上手くいかないらしい。二日続けて、漁具が破損してしまいましたと言っていた。まだまだ平常な操業には遠いみたいだ。

其処

定点撮影

災害復旧の土砂や砕石を運んでいるダンプがつけているマスクが色々あって面白そう。
どんなのがあるのだろうと思って、信号の無い交差点で立ちんぼうをしてやってくるダンプの撮影をしていた。
おもしろいねー。カメラを持ってあんな所にたって撮影をしていると、なにかその筋の人と間違うのか、みんな実に良くルールを守って交差点を通過していく。
明日から、葬式用の黒い腕章でもしてみるかな。

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震災後1年半

表題の通り、松川浦から北上して山元町まで見てきた。今回はママチャリでは無く車を使った、と言っても細部は
歩かねば見られない。結局歩いた歩数は24000歩少々。

松川浦:タコと何とか言う貝の漁をしだしたというので、水揚げを見ようと早朝から出かけたが残念。今週は遣っていないとの事、来週は遣るそうだ。又出かけねばならない。

嬉しかったこと:相馬港でオバチャン二人と話が出来たこと。当時の様子を色々と離してくれた。二人ともチョット小高い所に住んでいたから、助かったといっていた。

磯漁港:たった1隻しか船が残らなかった所だが、今日行って見たら小型を含めて4隻になっていた。着々と進んでいる。

去年の9月、小さな田圃を造っていた所(この横で稲を作っていた。)

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今日行ってみたら

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稲作は止めてビニールハウスが出来、中ではトマトやきゅうりが実っていた。

海岸堤防の本工事

先ずはこの画像を。以前、国土交通省仙台河川国道事務所から「海岸堤防の本格適復旧に伴い土石運搬のためにダンプの通行が激しくなるので、ご注意を」と言うことで、配布されたチラシです。

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これを見て以前から疑問に感じていたこと。
青色に波線のところが、本格的な復旧工事をするところです。ならば、茶色の直線のところ(私が記入した)は、堤防の本格的復旧工事はしないの?という事。
色々と調べて見たのですが、理由が不明のまま。ところで、今日フト思い出したのが、岩沼に「国土交通省海岸事務所」というのがあるということ。ここで聞けばなんか判るだろうと、早速出かけました。
「申し訳ないですね。縦割り行政なもので・・・」ということで判ったのは、茶色の直線のところは「農水省が担当しているので、国土交通省のチラシには書いてない」ということです。本工事を遣ることは遣るんですね。

茶色の線のところを良く見ると、漁港があったり、農業用の水門や樋門があったりする所・・つまり農水省が管轄しているところなのです。だから工事も農水省で遣るのだそうです。農水省が堤防工事を遣るとはしらなかった。そう言えば、応急復旧工事の遣り方もだいぶんかわっていたなー。

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そのすぐ後、亘理の町を走っていたら、写真のようなマスクをしたダンプが走っていた。疑問が一気に解決した。


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「吉田」というのは亘理の吉田海岸と言うこと。

常磐線延長

現在宮城県内の常磐線は、仙台~亘理間で部分運転がなされている。ところが最近になってJRが亘理~浜吉田間まで運転を延長する事になったと発表をした。

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常磐線の復旧は、福島県駒ヶ根駅から宮城県の浜吉田間はルートを山側に移して復旧するとも発表している。それからいけば、浜吉田は残る訳だから、亘理から延長されるのは必然的と言ってよいだろう。折りしも丁度、代行バスが遣ってきた。

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発表されてから暫く経つから、なにか動きがあるだろうと思って行ってみた。もう工事が始まっていました。

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線路を枕木ごと持ち上げ移動して、その下の地盤の整備をしていました。

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日曜日なので動きは見られないが、近くの踏み切りでも工事が始まっていました。

その後の特養ホーム

岩沼の相の釜にデイケアーセンター、老人福祉センター、特養赤井江マリンホームの3施設があった。その内、特養ホームは昨年の津波の時、職員の適切は判断と避難のおかげで、全員無事だったということで全国的に知られた。
この近くの海浜緑地が瓦礫の集積地になり、ダンプの往来が激しいために立ち入り禁止になってしまった。・・と言うことで、昨年9月以来ここの様子を見に行くことができなかった。今日は日曜日で、かつ瓦礫の運搬も一区切りガついていそうなので、とっとルール違反をしてママチャリ出かけてみた。
これが昨年の9月と今日の姿の比較。

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土砂がうずたかく積み上げられ、影も形もなくなっていた。土砂は堤防にでも使われるのだろう。

仕上がりました

東日本大震災から6ヶ月後、9ヶ月後、1年後の記録のDVD化全て完了しました。DVDとHDに入れてあるので、これで大丈夫。
それにしても作成中は,PCのトラブルが多かったなー。
先ず、朝一に電源が入らなくなる件。40回くらい挑戦しないと立ち上がらないんだ。
次が、作成中に「申し訳ありません。トラブル「が発生しました」と、強制終了してしまう件。何かやったら必ず、保存の処置をしないと駄目になる。
最後が、DVDに書き込み中に「書き込みに失敗しました」と来る。DVDの無駄遣いになってしまうんだ。
結構お疲れになっているみたい。真剣に新しくすることを考え他方がいいみたい。

・・と、言う事で午後からは震災1.5年後の様子を写真におさめるための下調べに出かけました。
半年を経過すると、大分変わってきていますねー。
車で出かけたので、細部までは中々見られません。やっぱり「ママチャリ」でないと駄目ですね。

昨年暮れに、津波によって運ばれたヘドロや砂で覆われた表土を剥ぎ取りながら、除塩をしていた田圃に行ってみました。先ず昨年暮れです。

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本日です。嬉しいですね。

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除塩中・・・本日山元町で。やっぱり、表土を剥ぎ取っていました。まるで耕地整理をやっているみたいでした。

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まだまだ大変な様子です。
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