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去年の今日(4)満タン

去年の今日、我が家の車のガソリンが3/24,30日と一回2000円分の給油をしてやっとマンタンに成った。
給油のための車列は、最初は町中をずらりと並んでいたが、この頃には我が家のすぐ近くの比較的交通量の少ない道(産業道路)に並ぶようになった。産業道路を北から南へと並び、4号線に合流してから今度は北上して、6号線との合流点に有るガススタンドへと延々3km続く。だから気をつけてみていると「車列が短い、今だ!」と言う判断が出来る。勿論最後尾の車に「本日の給油は終了」の看板が付いていないことは当然のこと。
短い時と言っても,3kmの行列が短いのであって、少々短くなっても優に3時間は並ばなければならない。朝から並んでも昼食時に引っかかってしまう。差し入れに来る車も有るが、我が家では選手交代で臨んだ。
でもこの頃になると、交通量の多い幹線道路沿いや、町中のスタンドでは給油のための整理券を発行するようになった。それでも大変だったらしい。「5時に起きて整理券を貰うために並んで、帰ってきて食事をして、ガソリンを入れに出かけ、それから出勤です」知り合いの人の話です。
何であっても、兎に角満タンになった。少々の遠出は出来る。

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ガソリンの供給不足も深刻だったが、被災地のこんな状況は、さらに深刻だった。結局この程度までやられたスタンドは、地下タンクにも塩水やヘドロが入って、最後は取り壊しに成ったようだ。
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春の山

陽気に浮かれて、里山を一寸駆け巡った。総歩数26500歩。
天候は申し分なし。いつに無く蔵王が綺麗に見えた。

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道中にも色々と収穫があった。

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          ホトケノザ

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          ホシノヒトミをアップで。

山に入った。

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         春ランはまだ蕾が固かった。

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何でこんな所にミツマタが?と思ったら、奥に廃屋があった。栽培されていたのだね。

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カタクリ最後に日当たりのいいところを午後遅くに尋ねたら、ヤッパリ。まだ貧弱だけど・・・もうすぐだね。
つぎはチョウだ。気をつけて。



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キタテハ、羽から見ると越冬した個体のようだ。今日は収穫が多かった。

三軒茶屋西地区・玉浦西地区

これは、岩沼市の震災による集団移転先の地名。きちんとした場所を知りたいと思って、地図で調べても見つからない。だけど新聞などではおおぴらに使われている。「三軒茶屋西地区」というのは、「三軒茶屋西地区々画整理組合」という組織があり、組合事務所も見つかるが、玉浦というのは、小中学校の名前くらいである。
先日、被災地の1年後の様子を見るために、早股とか押分とか言う辺りを廻っていたら、交番が見つかった。これ幸いと、おまわりさんに尋ねてみた。
「三軒茶屋西地区・玉浦西地区という住所はありません。三軒茶屋西地区というのは見当が付きますが、玉浦西地区、というのは判りません。」と言う返事が返ってきた。交番内に張ってある地図を元に色々説明をしてくれた。その様子からして感覚としては判っているが、質問に答えると成ると曖昧な事はいえないといった所のようだった。尚その時に見せてくれた地図にも、空港方面に向かう道路に「三軒茶屋ー空港線」と書いてあった。
なんでこんなことになっているのか、一度市役所に言っていきさつを聞かなければ成らないようだ。

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写真は、移転先となるところです。遠くに見えるとんがり屋根は玉浦中学校です。場所はここだとオマワリさんが教えてくれました。交番も移動するそうだ。

一年後の今日

今まで「去年の今日」と言うことで色々書いてきたが、今日は「一年後の今日」の話。仙台空港の近くに、津波でこっぴどくやられたガススタンドが有った。

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これがその時、唖然とした情景。
今まであっちこっちと歩いて、被害の様子を見、それが取り壊されていくのを見てきた。全くその姿が消えてしまうと、それが何処にあったかが判らなくなってしまう。「友人の家が有ったので尋ねてきたのですが、何にも無いから何処だったか全く判らなくなってしまいました。」そんなことを言ってていた人にあったことも有ります。
今日の話はそれがさらに進んだ時のことです。
あれから1年後と言うことで、3月になって仙台空港に2回やってきました。でも件のガススタンドが見当たらないのです。取り壊されたのだとは容易に察しがつきますが、それがあった場所が何処なのかです。被害の様子を写す時は、より詳しくと思うからどうしてもアップで写してしまいます。広い範囲が映っていないのです。被写体だけでなく、回りも変わってしまっています。最初の画像と地図とを比べて、ここだろうと目星しをつけて今日も行ってみました。

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100%の自信は有りませんが、ここで間違いないと思います。
周りは滅茶苦茶でした。今はもうそんな姿が何処にもありません。

去年の今日:仙台空港

我が家よりママチャリで往復30km、今考えれば、道路の整備などでヤッサモッサの時によくもまあ走らせて呉れたものだと思う。・・・と言うよりもまだ規制する余裕が無かったのかも知れない。何処に行っても、自衛隊が道路の瓦礫整理をやっていた。道路には海からの砂が一杯で、車輪が取られること夥しかった。
空港が酷くやられているのはニュースで判っていたが、何とか輸送機や小型ジェットが飛ぶようになったと言うのでこの目で確かめようとして出向いた。

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小型ジェットは瓦礫の有るところから出てきて、瓦礫の残る滑走路から飛びたって行った。

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空港の復旧は米軍が担当して居ました。

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兎に角必要最小限度の場所を確保する・・・、そういうことで進んでいるみたいでした。ここでは車も文句無く瓦礫です。情け容赦なく扱われていました。折りしもせめてナンバープレートだけでもと、探しに来た人が居ましたが、応えは「何処だか判らない」でした。

散歩12200歩

寒い寒いといいながらも、春はゆっくりだけど確実にやって来ているようだ。
山麓の道を歩いていたら、なんとなくいい香りがしてくるので上を見上げたら梅が咲いていた。一昨日道を歩いた時にはまだ咲いていなかったのに・・・。

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山に入ると、自生のヤブツバキもやっと一輪だけだったが花をつけた。今年花芽が少ないようだ。

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切り開かれた南斜面の道を登っていたら、もうカタクリが蕾をつけていた。後1週間で咲くかな?

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おまけ。山麓の道では、ハクビシンが交通事故にあっていた。浮かれてでてきたのかな?これは残酷だから画像はなし。

去年の今日(3)

こんな写真が有りました。

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バケツの陰が映るほどの天気ですが、これは雨水を溜めようとの努力の様子です。雪が降ったり、雨が降ったりと結構溜り、植木鉢の潅水くらいは出来ました。
所で今日の春の里山散歩は、出発朝の10時、帰宅午後の3時半。散歩ならず28600歩にもなりました。平面上で約16kmくらいにはなったでしょう。途中2回の休憩だけでは、一寸しんどかった。
次は途中見かけた風景です。


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岩沼で唯一、千貫山々麓に有る震災の瓦礫の一次置き場です。海岸から一番離れた所で、早い時期に集められていました。ここの瓦礫も二次置き場に向けて、搬送が始まっていました。
これは私見ですが、ここに集められた物は床上浸水によって被害を受けた家から運び出されたものと思います。畳や布団や、電化製品、家具等々、育苗用のプランターなど物凄く生活の匂いのするものばかりが集まっていました。海岸の方に集まっていた物はまさに瓦礫でしたが、ここのものは瓦礫とは思えませんでした。

去年の今日(2)

こんな写真が有った。

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それまでお一人10点までが、10日経つと15点になったのですね。ただ、カップ麺はお一人5ヶまでだった。それと妙に感心したのが、避難所ではパンばっかりと言う話だったが、そのせいか我々には逆にパンが手に入らなかった。そうそう納豆やヨーグルトも手に入らなかった。
いずれにしても、年寄り夫婦には15点も必要は無かった。

去年の今日

ツイッターで得た情報を元に、町の肉屋さんのに開店前に並びました。買った肉を入れる袋を用意して行くのが買うための条件でした。肉屋さんの右隣が自転車屋さん。沢山の車が流されてしまいました。おまけにガソリンが中々手に入りません。アット言う間に自転車が完売してしまいました。

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道路の車列は、2000円分のガソリンを得るための行列です。

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これは別の行列です。地図上で計ったら、3kmの長蛇の列になっていました。当初は今日の給油はここで終わりと言う印しに、おじさんが幟を持って立っていました。人間考えるものですね。
我が家はぜひとも必要と言うことも無いから、暫くはみんなの邪魔をしないようにと思いこの時点では並ぶことはしませんでした。
並んだのは3/30になってから。それでもまだまだ大変、3時間は並びました。


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車の中は暑いです。前の車には、奥さんが飲み物の差し入れです。我が家は、昼食のために選手交代をしました。

車検

9年目の車検のために納車をした。代車は同じ車種を用意してくれた。
車屋なのに、サービスにミニカップラーメン4ヶ、台所洗剤一瓶、ハンドソープにクリームを呉れた。
代車は対人対物保険には入っているが、車両保険には入ってないから気を付けろだとさ。
ガソリンは満タンにして返す・・・。買い物だけだと殆ど使わないから、給油の仕様が無い。
少々無駄走りでもするか。

昨年の今日思ったこと

震災に関して何か私に出来ることが無いかと思っていた所、子供からパソコンが使えて写真が取れる父ならこんな事が出来るだろうと言ってきたのが、グーグルが立ち上げたパーソンファインダーへの協力。市内の各避難場所に行き、そこに掲示されている「避難者リスト」を写真に撮りグーグルに送ってはということでした。グーグルがそれを基に、画像からテキスト化をして、避難場所と避難者名簿を作り上げてくれると言うことでした。それなら出来ると言う事で、早速市役所に出向き、こう言う事をしたいと許可を得た。市役所ではまだこんな事は知らなかった。これについては又次の機会に譲ることにする。
市役所に出向いたときに、応対してくれた若い女子職員さんが何気なく「阿武隈川の堤防の通行禁止が解除されましたよ」と言ってくれた一言が、被災地の状況をHPで皆さんに知らきっかけとなりました。それまでは、自分自身のことに集中していたが、ここに来てゆとりが出てきた。それではと、堤防を海の方に向かってママチャリで走り出した。
その時に実際に自分の目で見た光景は、言葉では言い表せることが出来ませんでした。ただその時に、こんなことを思いました。
「この様子は記録にとどめなければ・・・」
「物凄いことが起こっているが、無傷でいる人のほうが圧倒的に多いから元に戻すことは可能だ」と。

岩沼市は、津波被災した沿岸6地区の宅地や農地を「移転促進区域」にした。区域内は原則、住宅建設が禁止される。 6地区のうち、市は集団移転で合意する相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜の4地区にある促進区域内の住宅建設を禁止する。集団移転の合意に至っていない、蒲崎、新浜両地区は,市は促進区域に指定しながらも、両地区内で被災した自宅に住み続ける住民には当面、床を高くするなどの構造強化を求める。
・・・と、そういうことらしい。
現在、相の釜、藤曽根、二野倉、長谷釜地区は、住宅が完全に撤去され人影が全く消えている。
一方、新浜地区、蒲崎地区には、取り合えずの応急処置を施した家や、日中人影の見られる家が見られる。でも日中に見ているだけでは、本当に居住されているのか否かの区別が中々出来ない。・・・と言うことで、夕刻にこの二地区を通ってみた。その結果、新浜地区では2軒、蒲崎地区では4軒から電灯の光が見られた。夜間も住んで見えるのは、今日の時点ではこの6軒だったみたいだ。光の見えない家には、車も無かったことからして本日は無人だったと見ていいだろう。

新浜地区

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蒲崎地区

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イグネが消えていく

イグネ:田んぼに囲まれた 農家の背後にあるこんもりした樹林。 屋敷林と呼ば
れるが,東北では イグネ」という。
霧の中にモノトーンで浮かぶ姿が好きだった。画像を探したが見つからなかった。


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昨年の震災の翌日、山の上から見たイグネ。傍に居たおじさんが憮然とした
表情で「松島を見ているみたい」と言っていた。


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昨年3月18日に見た姿。南東に開けているから、瓦礫をモロに堰きとめてていた。
そしてたっぷりと塩水をすっていた。

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1年後の今日、3月16日に同じところに行ってみた。杉の木は塩害に弱いみたい。
枯れてしまい、伐採されていた。ここだけではない、あっちでもこっちでも・・・。

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助からなかった

3/8に海岸のすぐ傍の高台に有って、昨年の震災の津波から奇跡的に
助かった、福島県新地町の民家について紹介をしました。今日は、同じ
立地条件にありながら、津波にやられてしまった民家のことです。

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この高台は、奇跡的に助かった民家から北に約3kmの宮城県山元町磯
地区にあり標高は16m、3/8に介した高台と同じ高さです。

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別の角度から見るとこんなに見えます。赤い矢印の所に屋根がかすかに
見えます。この民家です。

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助かりませんでした。

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内部はごらんのとおりです。

次はすぐ傍の別の所です。上部の東屋のところは標高16mあります。

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今更の感がありますが、今まで入ることが出来なかった所に立ち入って
改めて見えてきたことです。

撤去

震災1年後、被災地山元町・亘理町を見て廻った。

無残、見るに忍びないが現実です。
山元町では、危険区域や集団移転の案がまとまったのか、破壊された
(全壊とか大規模半壊に当たる物でしょうか)家屋の撤去が急ピッチで
進められていました。

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山元町牛橋

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以下2点:山元町山下駅近く

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残ってた

岩沼市旧玉浦小学校寺島分校・・・廃校になってからは寺島学習館と
名前が変わっていた。
私が習ったのは三重県のもう少し大きな学校(本校)だったが、木造
建築で有ったことや運動場に薪を背負い読書をしている二宮金次郎
(尊徳)の像が有った事などから好きな建物だった。ノスタルジック
岩沼の一つだ。

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蒲崎に有ったから当然津波の被害にあって使えなくなっていた。それが
今日行ってみたら、撤去されてしまっていた。

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アレレ・・金次郎さんは?と探したら、ありがたい隅っこの方にちゃんと
残してくれていた。

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三重県の私の母校(当然改築されている)にも、いまも金次郎さんは健
在だ。

瓦礫処理

岩沼市二の倉地区で
2011/3/18

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2011/12/28

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2012/3/12

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更地に成った所には「売り物件」の看板も建っていた。

追悼式

東日本大震災の市主催の追悼式が行われた。一般の参加も可能との
事だったので、参列して犠牲者のご冥福をお祈りしてきた。
支援をしてくださった他の自治体からも沢山参列して下さった。

被災地を何度も廻ってみてきただけに、祈るだけでなくこれからも何か
行動をしなければとの思いを深くした。


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遺族代表の追悼の辞


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遺族献花


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外では追悼キャンドルの準備が進んでいました。

ホッキ飯

3月7日に訪れたときは定休だったので、本日は雪の中を車を飛ばして
亘理町鳥の海の仮設商店街に、ホッキ飯とイチゴを買いに来た。こんな
雪の中だから、カンコ鳥でも鳴いているのかと思っていたらどうしてどうし
大賑わいでした。ホッキ飯とイチゴを買いました。

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こちらはスーパーマーケットです。イチゴもリンゴも魚も、その他野菜や
日用品も沢山並んでいました。

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震災後一年

薄暗くなった中、津波で破壊されてしまった自宅跡に佇み
在りし日に思いを馳せるご婦人がありました。

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震災後1年

新地町から山元町笠野辺りまで見て廻りました。ヤッパリ腰の
具合がもう一つなので、車でボチボチとめぐりました。天候はイマイチ、
眠たい写真ばかりなので、もう一度日を改めて行く必要が有りそう。
1:奇跡!!海がこんなに近いのに。天然の要害だ。
福島県新地町吾安谷地付近。

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この向こうではこんな具合。何にも残っていない。

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2:まだ捜索が続けられていました。釣師浜漁港で。


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震災後一年

復旧・復興の様子を記録したいと思い、何に主眼を置いたらよいのかと
車で予備的に見て廻った。ヤッパリ車では速度が速すぎて、見える物が
見えてこない。今回もママチャリで廻る事にしよう。腰が痛いので一寸
大変そうだが・・・。


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亘理町鳥の海で
昨年廻ったときに建物は既に有った。何に成るのだろうと思って居たが
こんな店が出来ていた。ホッキ飯を食べようと思ったら本日は休み。
土曜・日曜が営業日との事。今週末に来るか。


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二日前に紹介した、山元町に建設中の瓦礫の焼却炉の写真です。
今日の河北新報によると
名取:3/30  岩沼:4/E 亘理:3/24 山元:4/10 に火入れが行われ
るそうだ。

腰痛

季節の変わり目だ、腰痛だ!と言うことで今日は一日
大人しくカメラの取り説を呼んですごした。椅子に座り
続けるのも又よくないんだな。

震災瓦礫のこと

震災で発生した瓦礫の処分を、他の自治体でもお願いできませんか
と言うことが中々というよりさっぱり進んでいません。ヤッパリ放射能
云々が問題のようですね。岩沼市民でさえ、放射能云々と騒いで居
るのですから、ましてや他の自治体では何を好き好んでと言うことに
成るのでしょうね。
でもねー、こちらも何もしないでお願いだけしているのではないんです。
こんなことを知っていますか?次の写真を見てください。

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名取市ユリアゲ港です。

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岩沼市須加原(二の倉の北)

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亘理町吉田

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山元町笠野(右奥にクレーンのアームが見えます)

これみんな瓦礫の焼却設備と、瓦礫の二次集積場なのです。
昨年から二年がかり、急ピッチで進められているのです。当初は集約
する予定だったようですが、雇用を・・と言うことも有って、仙南だけでも
4ヶ所に設置されているのです。

今日は竹駒神社の初午のお祭りの日。


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奴さんの毛槍の投げ受けです。

昨年は震災後の3月16日だったので、呼び物の神輿渡御と竹駒
奴の行列は自粛され、神事のみが執り行なわれた。お祭りなんか
やっているような余裕が無かったのが正直な所だった。それでも僅
かだったけれど屋台店が出ていた。

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僅かこれプラス後3店だけだったが、これが結構ありがたかった。
この時は食料の確保が結構しんどい状況だったので、ここで弁当と
たこ焼きと大判焼きを確保することが出来、スーパーの長蛇の列に
並ばずに済んだものだ。
それでは今日の華やかさを少々・・。

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ウグイスの初音

何日振りかの散歩。昨夜来の雪はベタ雪で、溶けるのも早い。
だから山道の雪は、水分一杯。こんな日には中に入ら無いほうが
宜しい。と言うことで本日の歩数は10500歩。
途中ウグイスの声を聞く。十分な鳴き方では無いがヤッパリ良いも
んだ。残念ながら、ブッシュの中でちょろちょろしているだけなので
写真は取れなかった。
家に帰って、塀の際を見たら昨夜の雪が溶けた中に福寿草が黄色
の花を開花させていた。何だカンダと言っていても、春は着実に近づ
いてづいて来ている。

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カメラが来たよ

待ちに待ったカメラがやっと届いた。注文が2/1で、入荷したのが3/2、1ヶ月
掛かった。タイの洪水はこんなにも影響しているんだなー。
午後仙台まで引き取りに出かけたので、本日はもろもろのチェックのみで
終わしまった。様子見は明日から。
別件だが、18-200のズームの鏡胴に知らない間に傷が入った居たので
一寸心配になりメーカー点検にだした。

ついでに金環食観測用の「日食グラス」なるものを買った。1450円した。結
構高いんだねー。
これは一眼レフで太陽を撮影する時に、ファインダーを裸眼で覗けないので
その対策用にしようと思っている。

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今日買ったものはこんなものです。

震災復旧・復興の様子

あれから1年、今までのコースを辿りその後の様子を追ってみることにした。
松川浦漁港:基準値以上の放射能が検出されていると言うことで、今月も
操業自粛となっていた。港には船が・・・・。

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亘理町仮設住宅内に仮設の店がオープンしたというので行ってみた。

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以前はこんなところでした。

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現在は

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プレハブ内に収まった立派な店でした。
こんな店も開店してました。

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